鉄鼠の檻
http://www.amazon.co.jp/dp/4062732475
「悟る」とはどういうことかというウンチクを期待しての再読だったんだが,期待とはちがった。悟りを得るために,ふだんの生活ではありえない運動をしたりドラッグを使ったりすることで意識をもうろうとした状態にした,みたいな話がなかったっけ。どこで読んだんだろう。まあそれでも話もウンチクもたいへんおもしろかったので満足。
最後のナゾの答えがわからない。関口の質問,「なぜ和田慈行は夜坐していたのが桑田常信かどうか(常信が背を向けていたから)わからなかったとウソを言ったのか」に対して京極堂は「あの人――慈行さんにはきっと本当に判らなかったんだよ。あの人は――」と答えている(p1338)。なぜわからなかったんだろう。答えがボカされているということは,ここまで読んだ人ならおのずとわかることなんだろうが。
和田慈行といえばまず「カタチだけで中身がない」という特徴をもつ人物だから,まあ修行ができていないからわからなかったのかなとまず思ったが,p791 を見るとそうではない。座る場所は人によって決まっていて,慈行は常信の後に禅堂に入っている。
慈行は記憶力がわるくて各人の座る場所をおぼえていない? 他人に興味がないので各人の座る場所をおぼえていない(あるいは当日背を向けて座っているのがだれなのか気にしなかった)? しかしどちらの特徴も慈行がそういう人物だったとは記述がない(前者なら杉山哲童,後者なら中島祐賢こそがこの役にふさわしい)。
p791 で,常信は禅堂に先に入ってカベを向いて座っていたのに,なぜ後から入って来たのが慈行だとわかったのかについてこう言っている:「坐禅中は寝ている訳ではありません。目を閉じている訳でもない。神経は研ぎ澄まされ、普段よりもものは善く見え音も善く聞こえる。禅堂で針を落とせば座っている僧は皆気づく。どの辺りに何人座ったかなど見ないでも判る。あれは慈行様だった」。
これは修行ができていない人にはできない芸当だろう。ということで結論:作者は慈行が禅堂に入ったのは後だということを忘れ,「慈行は修行ができていないので常信だとわからなかった」としてしまった。これがいちばんしっくり来る。これ以上の考察は次に再読するときにしよう(ついでに書いておくと,見つけたかぎりでは p439 や p381 にもヒントになりそうな記述がある)。
ところで,やはり誤植が多いのが気になる。興醒めなのできちんと校正してもらいたい。おれのは第 1 刷だが,後の刷りで直してあったりするのかな。興醒めついでに見つけるたびに記録してみた:
- p48 l3 この方→ことの方
- p272 l7 警察っつうのはは→警察っつうのは
- p384 l8 六っつ→六つ
- p636 l4 坊さん同士の方が結びつきの方が
- p678 l1 l13 正見殿→相見殿(あるいは p677 l8 が逆の誤り)
- p682 l8 どのうような→どのような
- p713 l5 つけ、て→つけて、
- p747 l10 金をを→金を
- p1001 l1 からから→から
::2011-03-22 {book}
update : 2011/03/22 (Tue) 05:01:21